小西康陽さんへの感謝

僕の初めての7インチレコード「悲しみはさざ波のように」が、11月3日「レコードの日」に発売されます。

 

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このレコードの制作、発売に関わってくださった全ての方々に感謝いたします。

皆さん、ありがとうございます!

 

とりわけ、小西康陽さんへの感謝の想いは、特別過ぎて、言葉に尽くせないほどです。

 

今回の音源のレコード化の経緯について、ジャケット内面に収録の、小西さんご寄稿の長文のライナーノーツに書いていただいておりますので、ぜひお読みいただきたいと思います。

 

僕が小西さんの音楽に出会ったのは、高校2年の時、神戸元町の高架下で買ったピチカート・ファイヴの1988年作「ベリッシマ」のCDでした。

 

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初めて聴いた時、こんなにお洒落で、クールで、カッコいい音楽が日本にあるのか!という、もの凄い衝撃を受けて、ひたすら聴きまくりました。

 

その後のピチカート・ファイヴ小西康陽さんの活躍は、ご存じの方も多いと思いますが、間違いなく、日本の音楽シーンを変えた革命的な音楽家であり、1980年代後半以降の日本のポップカルチャーを作ってこられた方だと思います。

 

僕も、小西さんからの影響を大いに受けて、10代の頃から数十年、自身の音楽活動を続けてきたわけですが、そんな、僕にとって大スターである小西さんが、近くの町までDJに来られるという情報を目にして、これは何がなんでも行かねば、と会場に向かったのが、2014年の秋でした。

 

僕はその当時、小西さんのソロ、ピチカート・ワンの「11のとても悲しい歌」のCDを聴き込んでいて、その素晴らしさに夢中になっていました。

 

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一目お会いして、ずっとファンでした、とお伝えして、サインをいただけたら、そして、ファンの一人が、小西さんの影響を受けて音楽活動をしています、ということを伝えるために自分のアルバムをお渡しできたら、これは最高だな、もしも、それが叶わなくても、行くだけ行って、出来るだけのことをすれば、後悔は無いなと思い、当日、ドキドキしながら、会場のドアを開けました。

 

すると、驚いたことに、会場のドアを開けたすぐそこに、小西さんが一人、佇んでいらっしゃいました。

大スターは、ずっと楽屋に引っ込んでいて、自分の出番の時に出て来て、出番が終わったらすぐに帰る、というイメージを勝手に持っていた僕は、一瞬面食らいましたが、このチャンスを逃したら一生無いかも、と思い、意を決して声をかけさせていただきました。

 

小西さんは、とても丁寧に、優しく応対してくださって、念願のサインもいただくことができ、僕のアルバム『ゴリラ』も受け取ってくださいました。

 

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僕はすっかり満足して、舞い上がるような気持ちだったのですが、その後、小西さんのDJ初体験で、そのすごさ、楽しさに、度肝を抜かれました。

 

作詞、作曲、編曲、プロデュース、リミックス、そしてDJと、全てにおいて常人離れした質と量、これはもう音楽の神様だ、と思いました。

 

その日の楽しい余韻に浸っていた2日後の夜、僕がやっているスタジオの電話が鳴りました。

 

「小西です。」と言う電話口の男性の声に、僕は最初、わけがわからず「どちらの小西様でしょうか?」と聞き返してしまったのですが、「小西康陽です。」とお答えになられて、僕は人生で一番、というくらいにびっくりしてしまいました。

 

神様から電話がかかってきた!と、気が動転していると「アルバム、聞いてみたら良かったから電話しました。」とのこと。

これまた夢のような話!

 

夢なんじゃないか、と思いながら、お話を聞かせていただくと「アルバム、あんまり好きじゃない曲もあるけど、全体的にすごく良かった。」と、具体的におっしゃられてたので、これは現実と思っていいかも、と考え直しました。

 

あの日の感激は、今でも忘れられません。

 

それから、僕はそれまでよりさらに、小西さんの音楽、活動に傾倒していくようになりました。

 

ピチカート・ファイヴ、ピチカート・ワン、そして小西康陽、の名義の作品を一つずつ集めていっているのですが、その膨大なリリース量と、一つ一つの作品のクオリティの高さに、集めれば集めるほど、聴けば聴くほど、畏敬の念を抱かずにいられませんでした。

 

そうして、ピチカート・ワンのライブ、関西でのDJの機会を、いつも楽しみにして、参加するようにしていると、僕の顔を覚えていただき、声をかけてくださるようになり、数々の嬉しいサプライズまで、していただくようになりました。

 

今回のレコードにも収録させていただいた「メッセージ・ソング」をカヴァーさせていただくことも、快く承諾してくださいました。

 

レコーディングにあたっても、貴重なアドバイスを数々いただいて、より小西さんの偉大さを知ることになり、自分自身の、音楽への関わり方を見直すきっかけになりました。

 

そして、お電話をいただいてから3年半以上が経って、ようやく次のアルバムをお渡しすることが出来たのが、今年の7月の京都での「Lounge NAMI」の時。

 

アルバムに、小西さんのコメントをいただけませんでしょうか、と厚かましくもお願いしたところ、快諾していただくばかりか、破格の条件を申し出てくださいました。

 

感激と感謝で、涙が出ました。

 

そして翌月の大阪での「WEST MOUNTAIN DRIVE」の時、小西さん、アルバム聴いてくださったかなー、どうだったかなー、とドキドキしていると、声をかけてくださいました。

 

「アルバム、良かったですよ。」と言ってくださって、僕は天に昇る心地でした。

 

「リリースは決まってるの?」と訊いてくださったので、まだ何も決まってないです、とお伝えすると、すぐ目の前にいらっしゃったグルーヴあんちゃんに、小西さんから直々に、僕の音源のレコードでのリリースを持ち掛けてくださって、その場ですんなりとリリースの話が決まりました。

 

快諾してくださったグルーヴあんちゃん、オレンジレコーズの社長、専務に感謝しております。

 

そして、レコードの収録曲についても、小西さんから提案をしていただき、コメントに至っては、

“いますぐ、誰かに話したくなるような音楽。神戸の街に、ひとりのシンガー・ソングライターがいる、ということを知ってもらいたいのです。”

という、最高のキャッチコピーだけでなく、1,300字を超える長文のライナーノーツを寄せてくださいました。

 

このライナーノーツは、読み返す度に、感謝と感激で胸が熱くなります。

 

そうして、ついに11月3日、リリースの日を迎えます。

 

これまで書かせていただいた通り、小西康陽さんのおかげで、今回のレコードの完成、リリースがあります。

 

小西さんには、感謝してもしきれないほどの思いがありますが、僕はこれから、今までの、いちファンという立ち位置から、前に進まないといけないと感じています。

 

今年8月の大阪で、小西さんが「宮田さん、もっと自信持っていいよ。」と言ってくださったこと、そして「宮田さんを、アマチュアとしてなら、絶賛してもいいけど、同業者としてなら、まだまだたくさん言いたいことがある」と言ってくださったことを、どちらも、これからの自身の音楽活動の支えとしていきたいと思っています。

 

小西康陽さん、本当に、ありがとうございます!!